京都のあぶらとり紙の起源を紐解くと、そこには華やかな京都の伝統工芸と芸能文化が深く関わっています。もともとは金箔を薄く打ち延ばす際に金と金の間に挟んで使われていた手漉き和紙「金箔打紙(きんぱくうちがみ)」がルーツです。金箔職人が100万分の1ミリという極薄の金箔を仕上げるため、特殊な灰汁や渋などを混ぜ込んだ和紙を何万回も機械で叩き締め、繊維を極限まで押し潰して作られていました。
この役目を終えた「ふるや紙(金箔打紙)」を化粧用として見出したのが、京都の花街である祇園の芸妓や舞妓、そして大正から昭和初期にかけて京都の太秦に集結していた無声映画・時代劇の映画俳優たちでした。強い照明に照らされる撮影現場や白塗りの化粧舞台では、皮脂によるテカリや化粧崩れが命取りとなります。白塗りの舞台化粧を崩すことなく、浮き出た皮脂だけを瞬時に吸い取る打紙の驚異的な性能は、プロの間で「魔法の紙」として瞬く間に重宝されるようになりました。
1904年(明治37年)創業の老舗「よーじや」は、当時大判だったふるや紙を手のひらサイズの手帳型に仕立て直し、1920年代から本格的に一般へ向けて販売を開始しました。舞台の裏方でひっそりと使われていた職人道具が、京都の女性たちの美意識と結びつき、やがて日本を代表する名物へと発展していったのです。