華やかなスクリーンの裏側で、田宮二郎の俳優人生は常に芸能界の巨大な構造と戦い続ける歴史でもありました。
学習院大学を卒業後、大映に入社した田宮は、抜群のプロポーションと洗練された知性、ニヒルな風貌を武器に頭角を現します。『悪名』シリーズでのモートルの貞役や、『犬』シリーズの鴨井大介役、そして社会派サスペンス『黒の試走車』など、日本映画史に輝く数々の映画代表作を連発し、大映の看板スターへと登り詰めました。
しかし1968年、映画『不信のとき』のポスター序列を巡って大映のトップ・永田雅一社長と真っ向から対立。看板俳優としてのプライドを主張した結果、一方的な契約解除と大映追放事件という過酷な報復を受けました。さらに当時の映画会社間で結ばれていた「五社協定」により、他社の映画にも出演できない完全な締め出しを食らったのです。
映画界を追われた田宮を救ったのは、新興メディアとして急成長していたテレビでした。1969年にスタートしたテレビ朝日の伝説的番組『クイズタイムショック』の初代司会者に就任。「今週の挑戦者はこの方です!」「タァーイムショック!」という切れ味鋭い名フレーズとスマートな進行で茶の間の圧倒的支持を獲得し、見事な復活劇を果たしました。このテレビでの大成功が、後の『白い巨塔』の企画実現へと繋がっていきます。