江戸時代後期、寛政の改革と呼応するように全国で藩校整備が進むなか、享和3年(1803年)に完成した会津藩校日新館は、規模・教育水準ともに群を抜いていました。財政難に瀕していた会津藩を建て直すため、家老・田中玄宰(たなかはるのり)が「教育こそ百年の計」と藩主・松平容頌に進言したことが創設の発端です。
鶴ヶ城の西隣に位置していた当時の敷地は約1万7000坪。現在の東京ドーム約1.2個分に相当する広大なキャンパスに、儒教を学ぶ大成殿、武道場、医学館、天文学を学ぶ天文台、さらには日本初とされるプール「水練水馬池(すいれんすいばいけ)」まで併設されていました。会津藩の上級武士の子弟は10歳になると日新館への入学が義務付けられ、文武両道の徹底した英才教育が施されたのです。
日新館の特異性は、単なる軍事教練所ではなく「リベラルアーツ(教養教育)と自然科学の融合」をいち早く実践していた点にあります。礼法や書道だけでなく、蘭学、天文学、砲術、水泳術に至るまで、多角的なカリキュラムが組まれていました。幕末の戊辰戦争において、極限状態にあっても規律を失わず誇り高く散った白虎隊の少年たちの精神的バックボーンは、まさにこの日新館の総合教育によって培われたものでした。