「一力茶屋」という屋号が日本人の脳裏に強烈に焼き付いている最大の立役者は、言わずと知れた名作歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』です。
劇中の屈指の名場面である七段目「祇園一力茶屋の段」では、仇討ちの意志を隠すために放蕩にふける大石由良之助(大石内蔵助がモデル)の姿が描かれます。ここで登場する「一力茶屋」こそが、京都祇園に現存する「一力亭」のモデルです。
興味深い歴史的事実として、赤穂事件が起きた元禄期当時、このお茶屋の実際の屋号は「万屋(よろずや)」であり、当主は万屋伊右衛門でした。しかし、寛延元年(1748年)に人形浄瑠璃・歌舞伎として上演される際、幕府の厳しい検閲(実在の武家事件や同時代の人名をそのまま出してはならないという禁令)を回避するため、「万」の字を「一」と「力」に分解して「一力茶屋(劇中では大星由良之助)」と改称された経緯があります。
その後、作品が空前の大ヒットを記録したことで、万屋自身も正式に屋号を「一力」へと改めました。これが今日まで続く「祇園一力亭」の由来です。このドラマチックな逸話が広く人口に膾炙した結果、「江戸の大事件に関わる有名な茶屋=江戸吉原にあったのでは」という地理的混同が後世に生じることとなりました。