殿ヶ谷戸庭園の成り立ちを紐解くと、武蔵野の大地が育んだ自然地形と近代日本の経済史が深く交差していることが分かります。庭園の基盤となっているのは、多摩川が数万年をかけて武蔵野台地を削り取って形成した河岸段丘の斜面「国分寺崖線(通称・ハケ)」です。高低差およそ13メートルに及ぶこの立体的な地形こそが、庭園の骨格を形作っています。
歴史の始まりは大正2年(1913年)、南満州鉄道副総裁などを歴任した江口定條が別荘を構えたことに遡ります。その後、昭和4年(1929年)に三菱財閥の3代目総帥・岩崎久弥の長男である岩崎彦弥太がこの地を買い取りました。彦弥太は昭和9年(1934年)にかけて洋風邸宅や茶室「紅葉亭」を新築し、回遊式林泉庭園「随宜園(ずいぎえん)」として完成させました。
昭和40年代の高度経済成長期、駅周辺の開発計画によって一時はマンション建設の危機に直面したものの、貴重な自然を守ろうとする市民運動が発端となり、東京都が買収して都立庭園として開園を迎えました。段丘崖を巧みに取り入れた作庭技術、自噴する名水、そして芝生と樹林が美しく調和する構成が高く評価され、1998年に東京都指定名勝、さらに2011年には国の名勝に指定されました。