姫路・廣峯神社の真相|牛頭天王総本宮と軍師官兵衛の聖地を徹底解剖

姫路・廣峯神社の真相|牛頭天王総本宮と軍師官兵衛の聖地を徹底解剖

姫路・廣峯神社の真相|牛頭天王総本宮と軍師官兵衛の聖地を徹底解剖の全貌を詳しく解説してご紹介します。

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廣峯神社の草創は奈良時代にまで遡ります。『播磨国風土記』や神社の由緒記によると、白鳳年間に神封が寄せられ、天平6年(734年)に聖武天皇の勅願によって右大臣・吉備真備が白国山(広峯山)に社殿を造営したのが始まりと伝えられています。

主祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)、神仏習合期における牛頭天王です。中世の社寺縁起や『廣峯神社縁起』の記述を辿ると、平安初期の貞観11年(869年)、京の都で疫病が大流行した際、播磨国広峯に鎮座していた牛頭天王を卜占によって京都の東山八坂郷(現在の八坂神社・祇園感神院)へ勧請したことが記録されています。これこそが、都の疫病を鎮めるために始まった「祇園御霊会」、すなわち京都・祇園祭の起源と直結する決定的な歴史事実です。

近世以降、八坂神社との間でどちらが真の「総本社」であるかを巡る論争も生じましたが、中世文書群や全国の御師活動の記録を検証すると、廣峯神社が「牛頭天王総本宮」として全国に神札を配符し、絶大な宗教的権威を誇っていた実態が如実に裏付けられています。

田中 結衣
著者

田中 結衣

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。