日本レコード大賞の歴史を語る上で避けて通れないのが、数々のトップアーティストによる「受賞辞退」の系譜です。権威ある賞でありながら、なぜ一部のミュージシャンはレコ大の舞台から距離を置くようになったのでしょうか。
1. ジャニーズ事務所(現STARTO ENTERTAINMENT)の撤退劇(1990年)
最大の転換点となったのは1990年です。同年、デビューした「忍者」が最優秀新人賞候補にノミネートされた際、演歌・歌謡曲部門とポップス部門の区分けをめぐる問題が発生。これを受け、事務所創業者側が「賞レースによって所属タレントに優劣をつけることはファンに対して本意ではない」として、以降すべての音楽賞レースへの参加を原則辞退する方針を打ち出しました。この方針は2010年代まで約30年間にわたり継続し、日本のポップシーンを席巻したSMAPや嵐などのメガヒット曲が大賞を受賞しないという特異な構造を生みました(※近年に至り、特別功労賞や企画賞などの形で一部出演が見られるようになっています)。
2. バンド・シンガーソングライターによる「音楽性重視」の辞退
1990年代のCDバブル期には、自作自演を行うロックバンドやシンガーソングライターの間で「音楽に優劣をつける賞レース自体への違和感」が広がりました。
- B'z・福山雅治・スピッツなど:楽曲の評価はファンの支持やライブの現場にこそあるという信念から、賞レースへのエントリーを辞退する姿勢を一貫して取りました。
- Mr.Childrenの「Innocent World」(1994年):第36回で大賞を受賞したものの、メンバーはツアー中につき授賞式を欠席。代理として所属レコード会社のプロデューサーが盾を受け取るという異例の事態となり、テレビ生放送を中心とした従来の賞レースのあり方に一石を投じました。
3. 宇多田ヒカルの辞退表明(1999年)
社会現象となった『First Love』がリリースされた1999年、アルバム・楽曲ともに圧倒的な支持を得ていた宇多田ヒカルサイドも「賞レースを競う意志はない」としてノミネートを辞退。この出来事は、音楽業界における「レコ大至上主義」の終焉と、アーティスト主導の価値観の定着を決定づけました。