兵庫県淡路島(洲本市)で生まれ育った彼女は、地元を離れて京都の同志社女子大学学芸学部英文学科へ進学しました。もともとは教員免許を取得して英語教師になることを目指していましたが、同志社大学の演劇サークルに関わったことが彼女の運命を大きく変えることになります。
1984年、同志社大学の学生演劇で頭角を現していたマキノノゾミを中心に、伝説的な劇団となる「劇団M.O.P.」が旗揚げされました。彼女はその結成メンバーであり、退団・解散まで劇団の絶対的エースとして舞台に立ち続ける看板女優となります。しかし、その華々しい肩書きとは裏腹に、20代から30代にかけての生活は極めて過酷な下積み時代でした。
関西の小劇場ブームを牽引し、チケットが即日完売する人気劇団へと成長しても、舞台俳優の収入だけで生計を立てることは至難の業でした。彼女は深夜の喫茶店やコールセンター、飲食店の配膳など、さまざまなアルバイトを掛け持ちしながら稽古場へ通う日々を10年以上続けています。当時のインタビューでも「明日の家賃が払えるか不安で眠れない夜もあったが、舞台を降りることだけは一度も考えなかった」と述懐しており、現在の鋼のような演技力は、このストイックな貧乏時代に培われたものです。