1982年に大蔵省へ入省した片山氏は、まさに男性社会の牙城であった霞が関の頂点へと突き進みます。当時の女性キャリア官僚は極めて珍しく、周囲の好奇の視線や旧弊な風土が色濃く残る中、彼女は持ち前の圧倒的な実力でガラスの天井を次々と打ち破っていきました。
その真骨頂が、1999年の女性初の大蔵省主査(労働担当)就任、そして2004年の女性初の主計局主計官(防衛担当)への抜擢です。主計局主計官とは、国家予算の査定権を握る官僚組織の最高実力ポスト。各省庁の事務次官や局長クラスが頭を下げて予算獲得に訪れる激戦区において、片山氏は防衛庁(当時)の制服組・背広組を相手に一歩も引かない論戦を展開しました。
当時の防衛関係者の証言によると、分厚い予算要求資料の数字の矛盾を一瞬で見抜き、装備品の調達コストや海外相場を暗算で弾き出しながら相手の要求を論破したといいます。フランス国立行政学院(ENA)留学で磨き上げた語学力と国際標準のディベート技術を駆使し、情緒的な陳情を一切受け付けず、冷徹なまでのロジックで切り込む姿は「霞が関の鉄の女」として語り草になりました。