1994年オフ、日本中を驚かせる移籍劇が起こります。西武で数々の日本一を経験した工藤氏が、新たに導入されたFA制度を行使して福岡ダイエーホークスへの移籍を決断したのです。当時のダイエーは万年Bクラスに沈む弱小球団。なぜ勝ち慣れた名門を捨ててまで、低迷する福岡の地を選んだのでしょうか。
移籍を決意させた最大の要因は、恩師である根本陸夫氏の存在と、新監督に就任した王貞治氏からの熱烈なオファーでした。「勝つ喜びを知らないチームに、勝者のメンタリティを植え付けてほしい」という託しを受け、工藤氏はあえて自らを過酷な環境へ追い込む道を選びました。
当時のダイエーのロッカールームには、敗戦に慣れて悔しさを忘れた空気が漂っていました。工藤氏は若手投手陣を厳しく指導し、走り込みやコンディショニングの重要性を自らの背中で示しました。食事指導から練習姿勢まで徹底的な意識改革を断行。その熱意は徐々にチーム全体へと波及し、移籍5年目の1999年、ホークスは悲願の初優勝・日本一を達成します。「優勝請負人」の異名は、まさにこのダイエー時代の泥臭い改革によって不動のものとなりました。