重光初子の正体とは?重光葵との血縁の真相と家系図・現在を追う

重光初子の正体とは?重光葵との血縁の真相と家系図・現在を追う

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ネット上、とりわけ中国の百度百科や韓国の一部コミュニティ・タブロイド紙において、現在も根強く語り継がれている言説があります。それは「重光初子は第二次世界大戦時の日本の外務大臣であり、A級戦犯として知られる重光葵(しげみつ まもる)の姪である」「辛格浩は重光家の威光と政財界の人脈を手に入れるため、初子と結婚して婿養子に入り『重光』姓を名乗った」という主張です。

しかし、戸籍の調査記録、重光葵氏の家系図、ならびに歴史的公文書を照合すると、この噂は完全な誤認に基づくフィクションであることが明らかになります。

まず決定的な事実として、初子氏の旧姓は「竹森」であり、生来の姓は重光ではありません。重光葵氏の出身地である大分県国東半島の重光家一族の系図を見ても、竹森初子氏およびその一族が親族として合流した記録は存在しません。武雄氏が「重光」の通名を選んだ背景についても、当時の在日コリアンが用いた通名創氏の慣習や個人的な選択によるものであり、名門・重光家への婿養子縁組という事実は一切確認されていません。

では、なぜこれほど強固なデマが定着してしまったのでしょうか。背景には、韓国社会における反日感情や財閥批判の文脈があります。「韓国発のグローバル財閥トップが、実は日本の戦犯有力者の親族に取り入って成り上がった」という物語は、大衆のナショナリズムとゴシップ的好奇心を刺激する格好の標的となったのです。事実に基づかない言説が国境を越えて拡散し、海外の百科事典サイト等に無批判に転載された結果、あたかも定説であるかのように定着してしまったのが実情です。

山口 彩花
著者

山口 彩花

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。