五箇条の御誓文に関しては、近代民主主義の夜明けとして語られるあまり、歴史学的な文脈から外れた誤解がネット上などで散見されます。押さえておくべき主要な盲点は以下の通りです。
第一の誤解:「国民一人ひとりに向けた民主主義の宣言」という思い込み
文面にある「広く会議を興し」というフレーズから、現代のような国会や普通選挙を即座に連想しがちですが、当時の起草者たちにそのような意図はありませんでした。ここで言う「会議」とは、諸藩の大名や選りすぐりの士族(エリート階層)による合議体を指しており、一般国民を政治参加させる発想は存在しませんでした。御誓文はあくまで「領主階級の統合文書」だったのです。
第二の誤解:「発布によって即座に民主的な政治が始まった」という幻想
御誓文発布の直後、新政府は「政体書」を発布して三権分立を模索しますが、戊辰戦争の遂行と中央集権化の必要性から、実質的な権力は薩長土肥の有力藩閥へと急速に集中していきました。つまり、スローガンとは裏腹に、現実は官僚主導の寡頭政治(藩閥政治)が敷かれたのです。しかし皮肉にも、この「言行不一致」こそが、後の板垣退助らによる自由民権運動の起爆剤となりました。「政府自身が御誓文で公論に決すべしと言ったではないか」という論理が、最強の反論として機能したからです。