戦前の三井財閥における御三家は「三井銀行」「三井物産」「三井鉱山」でしたが、産業構造の転換とともにグループ内のパワーバランスは大きく様変わりしました。特にエネルギー革命によって三井鉱山が衰退した後は、総合商社である三井物産が名実ともにグループの旗頭として君臨し続けてきました。
しかし、近年の日本橋再開発プロジェクト(COREDO室町など)の大成功や、東京ミッドタウン(六本木・日比谷・八重洲)の開発、国内外での積極的な投資展開によって、三井不動産がグループ内での存在感を劇的に高めています。連結純利益や時価総額において三井不動産が三井物産に迫る規模へと成長したことで、社内や経済界では「物産・不動産の二頭体制」とも囁かれます。
大手総合商社関係者の証言によると、「三井物産社内には今なお『三井を引っ張るのは自分たちだ』という強烈な自負があるものの、都市開発や街づくりで圧倒的なブランド価値を築いた三井不動産への敬意と緊張感は確実に高まっている」と指摘されています。
さらに見逃せないのが、金融再編による「三井住友」の誕生です。2001年、三井グループの中核であった「さくら銀行(旧三井銀行と旧太陽神戸銀行が合併)」と、住友グループの中核「住友銀行」が対等合併し、三井住友銀行(現・三井住友フィナンシャルグループ)が発足しました。
戦前のライバル同士が手を組んだこの世紀の統合は、当初「水と油」と懸念されたものの、両グループの顧客基盤を融合させることで三大メガバンクの一角として強固な地位を確立しました。現在、三井住友銀行は「二木の会」と住友の社長会「白水会」の双方に所属しており、伝統的な財閥の枠組みを超えたハイブリッドな中核企業として機能しています。