祖父である徳川家康から連なる名門に生まれた徳川光圀だが、その青春時代は意外にも荒れていた。血気盛んな少年期は傾き者(かぶきもの)として街を練り歩き、周囲を困惑させたという。しかし18歳の時、中国の『史記』「伯夷列伝」を読んだことで精神的な転換点を迎え、学問への道に目覚めた。
水戸藩主として立った後は、領内の治水工事や寺社改革、紙の専売化など、先見の明に満ちた民政を展開する。権力に媚びず、時には将軍綱吉の生類憐みの令に対しても批判的なスタンスを崩さなかった骨太な政治手腕は、当時の武家社会においても異彩を放っていた。