日本史においても「空城の計」と酷似した実戦例が存在します。それが元亀3年(1573年)1月、武田信玄と徳川家康が激突した「三方ヶ原の戦い」における浜松城での出来事です。
遠江へ侵攻してきた武田軍の別働隊を背後から突こうとした家康は、信玄の巧みな用兵によって三方ヶ原台地上でおびき出され、大敗を喫しました。命からがら数騎で居城・浜松城へ逃げ帰った家康は、追撃してくる武田軍(山県昌景や馬場信春らの精鋭)を前に、家臣たちの予想を覆す奇策を講じます。
- 城門を固く閉ざすのではなく、すべての門を大きく開け放つ。
- 城外や門前に大量の篝火(かがり火)を焚かせ、場内を赤々と照らし出す。
- 重臣・酒井忠次が城の櫓に登り、太鼓を激しく打ち鳴らして士気を誇示する(「酒井の太鼓」として知られる逸話)。
猛追してきた武田軍の先鋒は、この異様な光景を見て「負け戦の後にこれほど堂々としているのは不自然だ。城内に伏兵を配して我らを誘い込み、逆襲を狙っているのではないか」と警戒。無理な攻城戦による損害を避け、夜間の深入りを警戒して兵を引きました。
この浜松城の逸話は江戸時代の軍記物『三河物語』などに記されており、家康最大の危機を救った機転として広く語られています。兵力で圧倒的に劣る側の心理的対抗策として、東西を問わず同じ思考回路が働いた興味深い実例といえます。