板東英二の野球伝説|甲子園奪三振記録と中日での驚愕成績

板東英二の野球伝説|甲子園奪三振記録と中日での驚愕成績

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板東英二という投手の名を日本中に轟かせた原点は、徳島商業高校のエースとして出場した1958年(昭和33年)第40回全国高等学校野球選手権大会にあります。この大会で板東投手が記録した「大会通算83奪三振」という数字は、延長引き分け再試合を含む全6試合・62イニングをほぼ1人で投げ抜いて打ち立てた金字塔であり、半世紀以上が経過した現在も高校野球の最高峰レコードとして君臨しています。

ハイライトとなったのは、準々決勝の魚津高校(富山)戦でした。相手エースの村椿輝雄投手との壮絶な投げ合いは、当時の甲子園史上初となる「延長18回引き分け(0-0)」を記録。板東投手はこの1試合だけで25三振を奪い、翌日の再試合でも9回を投げ抜き3-1で勝利を収めました。さらに準決勝の作新学院戦でも延長16回を完投勝利。決勝では柳井高校に敗れたものの、その驚異的なスタミナと奪三振能力は社会現象となりました。

当時の報道や本人の手記によると、当時の甲子園の過酷な連投環境において、右腕は内出血で紫色に変色していたと述懐されています。それでもマウンドを譲らなかった強靭な精神力と勝負度胸が、後の波乱に満ちたプロ生活の礎となったことは間違いありません。

橋本 菜々子
著者

橋本 菜々子

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。