源光庵を語るうえで欠かせない歴史的遺構が、本堂の頭上に広がる「血天井」です。寺院の古記録や戦国史料を紐解くと、この天井板は慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いの前哨戦となった「伏見城の戦い」の凄惨な現場から移築されたものであることが分かります。
当時、徳川家康の信任厚い忠臣であった鳥居元忠をはじめとする約380名の将兵は、石田三成率いる西軍の大軍に包囲されながらも頑強に城を死守しました。落城の際、生き残った将兵全員が本丸の広間で壮烈な自刃を遂げました。夏の猛暑の中、数か月にわたって遺骸が放置された結果、床板には武将たちの血痕や手足、鎧の跡が深く染み込むこととなったのです。
戦乱が収まった後、家康公は自らのために散った忠臣たちの魂を弔うため、その床板を京都の複数の寺院(源光庵、宝泉院、正伝寺、養源院、興聖寺)に分配しました。ここで重要なのは、なぜ床板をあえて「天井」に上げたのかという理由です。寺院関係者および仏教民俗学の知見によれば、武士たちの血が染み付いた床板を踏みつけるのではなく、頭上に祀ることで参拝者が日常的に見上げ、手を合わせ、永代にわたって供養し成仏を願うという意味が込められています。
実際に源光庵の本堂を見上げると、手形や足跡、武具の痕跡が肉眼でも明瞭に確認できます。それは怪奇的な恐怖の対象ではなく、主君への忠義と激動の戦国時代を生き抜いた先人たちの生きた証であり、深い鎮魂の祈りの場として現在に受け継がれています。