六華苑を語る上で欠かせないのが、施主である二代目諸戸清六(もろと せいろく)の存在です。諸戸家は桑名が生んだ日本屈指の大富豪であり、「日本一の山林王」と称された豪商でした。
初代諸戸清六が莫大な借金を返済した後に米相場と山林経営で一代にして巨万の富を築き、その遺志を継いだ二代目が23歳の若さで家督を相続。二代目清六は、事業の近代化を推し進めると同時に、自らの新居としてこの大邸宅の建築を構想しました。
当時、日本政府の御雇外国人として鹿鳴館などを手掛け、名声を極めていたジョサイア・コンドルに対し、地方都市である桑名の実業家が設計を依頼できたこと自体が、諸戸家の圧倒的な財力と社会的信用を証明しています。完成した大正2年当時、自家発電装置や最新式の水洗トイレなど、最先端の欧米技術が導入されたこの邸宅は、まさに時代の先端を走るモダニズムの結晶でした。
諸戸家は単なる富の誇示にとどまらず、桑名市の上水道敷設費用の大半を寄付するなど、地域インフラの発展にも多大な貢献を残しました。六華苑の美しさは、富を社会と分かち合い、文化を後世に残そうとした先人たちの高い志の上に成り立っています。