丙午で出生率は再び激減するのか?1966年の真相と2026年動向

丙午で出生率は再び激減するのか?1966年の真相と2026年動向

丙午で出生率は再び激減するのか?1966年の真相と2026年動向とはどんな影響があるのか? 主要なファクトを整理してお届けします。

厚生労働省の「人口動態統計」を振り返ると、日本の近代史において異様なグラフの切れ込みがはっきりと確認できる。戦後の第1次ベビーブームを経て高度経済成長の只中にあった1966年(昭和41年)の出生率激減は、戦争や飢饉といった物理的要因ではなく、純粋な「民間信仰と迷信」によって引き起こされた特異な現象だった。

当時の記録を紐解くと、前年である1965年の出生数は約182万3,000人、女性が生涯に産む子どもの推定人数を示す合計特殊出生率は「2.14」だった。ところが、丙午の年を迎えた1966年の昭和41年丙午出生数は約136万人へと激減。合計特殊出生率は前例のない「1.58」まで急降下したのである。前年比で約25.4%、実に約46万人もの子どもが「この世に誕生しなかった」計算になる。

当時の報道各社の社会面には、産婦人科に中絶を求めて押し寄せる夫婦の姿や、迷信を信じる親族からの猛烈な反対に泣く若い母親たちの記事が連日掲載された。ここで見過ごせないのが、丙午の堕胎や中絶の歴史的背景である。当時は優生保護法(現・母体保護法)のもと、経済的理由等による人工妊娠中絶が実質的に容認されていた社会背景があり、統計に表れた中絶件数は年間約137万件にも上った。前後の年と比較しても中絶率の跳ね上がりは歴然としており、家庭内での親族間プレッシャーによって中絶を選択せざるを得なかった女性たちの苦悩が浮き彫りとなっている。

さらに現場では、法律の目をかいくぐる「出生届の操作」も横行した。1965年12月生まれの子どもを「年内に生まれた」と早めに出す、あるいは1966年末に生まれた子を「1967年1月生まれ」として届け出る事例が相次いだのだ。法務省や自治体が取り締まりを強化したものの、親族一同の意向を汲んだ医師による診断書の日付書き換えなど、世間体を守るための工作が全国各地で秘密裏に行われた。その結果、翌1967年には出生数が約193万人(合計特殊出生率2.23)へと跳ね上がるという、極端な反動現象をもたらすことになった。

山本 拓海
著者

山本 拓海

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。