碓氷第三橋梁はなぜ山中に建てられた?めがね橋の真相を徹底解説

碓氷第三橋梁はなぜ山中に建てられた?めがね橋の真相を徹底解説

碓氷第三橋梁はなぜ山中に建てられた?めがね橋の真相を徹底解説について見逃せない 事実を厳選して解説いたします。

碓氷峠は、古くから東山道や中山道における最大の難所として知られてきました。明治維新後、近代国家としての基盤を固める日本政府にとって、太平洋側の東京と日本海側の新潟を結ぶ鉄道網の整備は国家的急務でした。しかし、群馬の横川から長野の軽井沢間は、直線距離わずか約11kmの間に標高差552メートルという急峻な崖が立ちはだかり、当時の鉄道技術では登攀不可能な壁と見なされていたのです。

建設にあたり採用されたのが、レール中央に敷設した歯軌条(ラックレール)に機関車の歯車を噛み合わせて走行するスイス考案の「アプト式鉄道」でした。碓氷第三橋梁の歴史と経緯を紐解くと、イギリス人技師C.A.W.パウナルの基本設計指導のもと、日本の鉄道庁技師・野田佳右らが心血を注ぎ、1892年(明治25年)にわずか数年という驚異的な工期で竣工へ導きました。

険しい谷を渡るために設計されたのが、長さ91メートル、川底からの高さ31メートルに達するレンガ造り4連アーチ橋です。この構造を支えるため、近隣の碓氷煉瓦製造所などで焼き上げられた200万個を超える赤レンガが投入されました。強固な耐久性と幾何学的な美しさを兼ね備えた姿は、日本の土木技術が西洋技術を吸収し、自立へと歩みを進めた記念碑的モニュメントでもあります。

小林 直樹
著者

小林 直樹

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