1998年2月17日、白馬スキージャンプ競技場(ラージヒル・K点120m)で行われた長野五輪スキージャンプ団体は、天候急変により波乱の幕開けとなりました。1994年リレハンメル五輪で目前の金メダルを逃した日本にとって、地元開催での雪辱は国民的悲願でした。
1本目、1番手の岡部孝信が121.5m、2番手の斉藤浩哉が130.0mの好ジャンプを披露し、日本は首位争いに加わります。しかし、3番手の原田雅彦がスタート台に立った瞬間、天候が急変。激しい猛吹雪と追い風のなか放たれた原田のジャンプは、失速してわずか79.5mに終わります。この瞬間、日本は首位のオーストリアと大差の4位へ転落。4番手の船木和喜が118.5mで踏みとどまったものの、1本目終了時点で首位と23.3ポイント差という絶望的なビハインドを背負うことになりました。
さらに追い討ちをかけたのが、悪化の一途をたどる猛吹雪でした。競技は一時中断され、国際スキー連盟(FIS)の審判団は「2本目の中止(1本目の成績で順位確定)」を現実的な選択肢として検討し始めます。もし中止になれば、日本のメダル獲得すら消滅する絶体絶命の危機でした。この窮地を救ったのが、後述するテストジャンパーたちによる献身的なジャンプでした。
競技再開後の2本目、日本代表は驚異的な集中力を発揮します。スキージャンプ団体大逆転の経緯は、まさに鬼気迫る展開でした。岡部が当時のバッケンレコードタイとなる137.0mを記録して反撃の狼煙を上げると、続く斉藤も124.0mで手堅く追撃。そして3番手の原田が、悪夢を完全に払拭する137.0mの大ジャンプを叩き込み、頭を抱えて歓喜の涙を流しました。最終ジャンパーの船木が完璧なテレマークを決めて125.0mを飛び、合計938.4ポイントを獲得。劇的な大逆転で世界の頂点へと駆け上がったのです。