意識が朦朧とするなかで節子が遺した言葉は、多くの視聴者の涙腺を崩壊させました。衰弱しきった節子は、地面の泥を一生懸命に丸めて作ったお団子を並べ、帰ってきた兄に向かって差し出します。「これ、天ぷらや。高野豆腐もあるで。兄ちゃん、食べぇな」と語りかけ、そして最期に遺した「兄ちゃん、おおきに」という感謝の言葉。自分を最後まで慈しみ、守ろうとしてくれた清太に対する4歳の全身全霊の感謝でした。
一方で、兄妹を家から追い出すきっかけを作った「西宮の親戚のおばさん」に対する評価は、近年大きく変わりつつあります。子どもの頃に観た際には「冷酷で意地悪な大人」と映ったおばさんの態度も、大人の視点から見直すと別の側面が浮かび上がります。
戦時下の配給制度において、働かざる者は食うべからずという徹底した相互監視社会でした。国防婦人会の活動や近所付き合いに追われるおばさんから見れば、学校へも行かず、勤労動員にも参加せず、昼間からオルガンを弾き海で遊んでいる14歳の清太は、単なる怠惰な居候に見えても無理はありません。「お国のために働かない者に米はやれない」という言葉は、戦時社会の冷徹な正論でもありました。兄妹を死に追いやったのは特定の悪人ではなく、生き延びることだけで精一杯だった戦時体制そのものの歪みであったことが分かります。