おどろおどろしい王室の怪談として語られるヘンリー8世作曲説ですが、近年の音楽史研究によって歴史的な真相は別のところにあることが明らかになっています。
現存する最古の記録は、ヘンリー8世の死から30年以上が経過した1580年9月、ロンドンの書籍出版業組合の台帳にリチャード・ジョーンズという人物によって登録された記録です。また、この曲で用いられている「ロマネスカ」や「パッサメッツォ・アンティコ」と呼ばれるイタリア風の通奏低音様式は、ヘンリー8世が存命だった時代のエリザベス朝以前にはイングランドへ伝来していませんでした。
真相としては、当時ロンドンのストリートで大流行していた作者不詳のバラッド(街頭歌)であり、後に大衆の興味を引くために「悲劇の王ヘンリー8世がアン・ブーリンのために書いた曲」というドラマチックな都市伝説が後付けされたと考えられています。しかし、たとえ後世の創作であったとしても、権力と処刑に彩られた王室スキャンダルと結びついたことで、楽曲の放つ異様な魅力は不動のものとなりました。