犬は人間のように全身に汗腺(エクリン汗腺)を持たないため、汗をかいて体温を下げることができません。その代わりに舌を出し、パンティングと呼ばれる浅く速い呼吸を繰り返すことで、口腔内の唾液を蒸発させて気化熱を奪い、体温の上昇を防ぎます。運動後や興奮時、室温が高い環境で見られる一時的な呼吸の乱れは、正常な生体防御反応の一環です。
しかし、問題となるのは「体温を下げる必要がないシチュエーション」で生じる呼吸の乱れです。日本獣医学会や救急動物医療センターの臨床データが示す通り、病院へ救急搬送される呼吸異常の犬の多くは、環境因子の排除後も呼吸が整わないケースです。単なる生理的パンティングと病的な呼吸促拍の境界線は、以下の3つの生理学的変化に明確に現れます。
第一に、呼吸の「深さとリズム」です。正常な体温調節では浅い呼吸が規則正しく続きますが、病的状態では肋骨が大きく波打ち、腹部を激しくペコペコとへこませる「腹式呼吸(努力性呼吸)」へ移行します。第二に、呼気の熱さです。換気機能の低下により熱放散が追いつかず、口腔内が異常に熱を帯び、粘り気のある唾液が過剰に分泌されます。そして第三が、刺激に対する反応性の低下です。呼びかけに反応せず、ぼんやりと焦点の合わない視線を向ける状態は、体内での酸素供給不足(低酸素血症)が脳に波及している証拠といえます。