銭湯間の顧客獲得競争が激化するにつれ、湯女の仕事内容は入浴介助にとどまらず、著しくエンターテインメント化・風俗化していきました。その頂点となったのが、神田丹兵衛町(堀丹後守の屋敷前)を中心に誕生した「丹前風呂(たんぜんぶろ)」です。
丹前風呂では、銭湯の2階に広大な座敷が設けられ、豪華な衣装をまとった湯女たちが三味線を弾き、酒や茶を振る舞い、歌や踊りを披露しました。特に勝山(かつやま)や吉野といったスター湯女は当時のファッショントレンドを牽引し、彼女たちの派手な着こなしや髪型は「丹前風(たんぜんふう)」と呼ばれ、旗本奴や町奴をはじめとする江戸の伊達男たちを熱狂させました。
しかし、その華やかさの裏で展開されていたのが「湯女風呂の実態」である私娼行為です。客は1階で入浴と垢すりを受けた後、追加料金を支払って2階の座敷へと上がり、飲食を共にした後に奥の個室で性的なサービスを受けました。大規模な湯女風呂では1軒に20人から30人以上、江戸全体では数百人規模の湯女が抱えられ、銭湯は事実上の大規模な非公認風俗街へと変貌していったのです。