脱退の引き金として当時大きく取り沙汰されたのが、旧ジャニーズ事務所の代表取締役社長であった藤島ジュリー景子氏との「確執説」です。『週刊文春』をはじめとする報道各社は、平野らがグループの今後について直訴すべくジュリー氏との面談を幾度も申し入れたものの、ドタキャンや面会拒絶が繰り返されたと報じました。
この対立の根底にあったのは、単なる感情的なすれ違いではなく、ビジネスモデルの根本的な対立でした。
旧ジャニーズ事務所の強みは、テレビ局各社への強力なキャスティング力、ドーム規模のコンサート動員、ファンクラブ会費という「日本国内における完結型ビジネス」でした。日本のテレビドラマやバラエティ番組で主役を張ることが最優先とされ、言語の壁やプロモーションコストが膨大な海外進出は、経営的観点からは極めてリスクの高い投資とみなされがちでした。
一方、平野らは世界市場でのトレンドであるHIP-HOPやR&B、高難度のダンスコレオグラフィーに早くから傾倒していました。実際に『Magic Touch』や『ichiban』といった楽曲では、世界的ダンサーであるRIEHATA氏をコレオグラファーに迎え、それまでの「キラキラした王子様路線」を打破するパフォーマンスを提示していました。
しかし、海外のストリーミング配信やYouTubeへの公式展開は、当時の旧事務所の旧態依然とした著作権管理方針によって遅れを取っていました。BTSをはじめとするK-POP勢がビルボードのトップを席巻するなか、自分たちの楽曲が世界へ届かないもどかしさと、20代後半という肉体的なピークの制限が、平野らを決断へと駆り立てた最大の要因と言えます。