ネット上の言説や一部の論評において、「緒方貞子が国連トップになれたのは、名門の家柄と外交官の娘という特権階級のコネクションがあったからに過ぎない」といった冷笑的な見方が散見されることがあります。しかし、これは彼女の実務と闘争の歴史を無視した完全な誤解です。
第一に、彼女がUNHCRのトップに指名された1990年末、UNHCRは巨額の財政赤字と冷戦終結による難民急増で崩壊寸前の組織でした。多くの国際政治学者が「誰が引き受けても泥舟であり、短命に終わる」と見ていたポストに、火中の栗を拾う形で飛び込んだのが緒方氏でした。名門の威光など一切通用しない過酷な紛争地で、自ら危険を冒して結果を出したからこそ、歴代最長クラスとなる10年間の長期任期を務め上げることができたのです。
第二に、彼女の研究者としてのバックボーンです。UCバークレー校での博士論文執筆時、彼女は満州事変における関東軍と日本政府の公電・機密文書を徹底的に読み込みました。そこで痛感したのは、「組織のルールや前例に縛られ、現場の暴走を止められなかったエリート官僚機構の脆弱さ」でした。この学術的洞察があったからこそ、彼女は国連やJICAという巨大官僚機構において、「規約を守って人を死なせるくらいなら、規約を破って命を救い、後からルールを変える」という凄まじい覚悟を持つことができたのです。
1994年のルワンダ大虐殺では、難民キャンプ内にジェノサイドを実行した旧政府軍兵士が紛れ込み、キャンプが軍事拠点化するという極限のジレンマに直面しました。国連加盟国が平和維持軍(PKO)の派遣を拒否する中、緒方氏は自らの無力感と苦悶を吐露しながらも、支援を継続する現実的な落としどころを模索し続けました。「清廉潔白なお嬢様」などではなく、泥沼の現実の中で血の滲むような現実的判断を下し続けたプラグマティストこそが、緒方貞子の真の姿です。