1945年7月26日に米英中(のちにソ連が参加)の3カ国首脳名義で発出されたポツダム宣言は、全日本軍の無条件降伏と民主的政府の樹立を要求するものでした。当初、日本政府は態度を保留(いわゆる「黙殺」)していましたが、原爆投下とソ連参戦によって情勢は絶望的となります。
政府と軍の最高指導者による最高戦争指導会議では、「国体の護持(天皇の地位保持)」のみを条件とする東郷茂徳外相らと、自主的武装解除や戦犯自主処罰などを求める阿南惟幾陸相ら軍部強硬派が激しく対立しました。会議が完全に膠着する中、鈴木貫太郎首相は前例のない「昭和天皇への御前会議での意見具申」、すなわち御聖断(せいだん)を仰ぐ形を取りました。
昭和天皇は「自分の身はどうなろうと、国民の命を救いたい」という趣旨の言葉を述べ、ポツダム宣言の受諾を決断。この歴史的判断が、8月14日の御前会議で最終決定され、連合国側への受諾通告へと繋がりました。