パリの南西約20キロメートルに位置する湿地帯だったヴェルサイユ。なぜ初代の狩猟の館に過ぎなかったこの地に、国家財政を揺るがすほどの資金が注ぎ込まれたのか。その背景には、幼少期のルイ14世を襲った内乱「フロンドの乱」のトラウマが存在します。
貴族たちの反乱によってパリを追われ、命の危機に晒された若き王は、貴族という存在を徹底的に無力化する決意を固めました。その答えが、1682年のヴェルサイユへの宮廷遷都です。王は全国の有力貴族をこの巨大宮殿に強制居住させ、毎日の起床から就寝に至る細かな儀典(エチケット)に忙殺させました。
王の服のボタンを留める役目をめぐって貴族同士を競わせ、豪奢な衣装や賭博で財政的に自活できない状態へと追い込む。つまり、ヴェルサイユ宮殿は貴族の反乱の芽を摘み、王権を絶対的なものにするための壮大な舞台装置だったのです。当時の国家予算の数年分に相当する巨費が投じられた背景には、国家支配の構造改革という極めて冷徹な政治的計算が働いていました。