マイファスの死亡説を語る上で避けて通れないのが、ラウドロック史に刻まれたカリスマボーカリスト・K(後藤慶)の存在です。この悲劇的な出来事こそが、後々の検索キーワード混同を生んだ最大の源流となっています。
2012年12月30日、日本のラウドロック界を牽引していたPay money To my Painのボーカル・Kが、急性心不全により31歳の若さでこの世を去りました。公式発表によるPay money To my Pain K死因は持病の精神疾患と服薬、過密なプレッシャーが重なったことによる急性心不全でした。このあまりに早すぎる死は、国内外のロックファンとミュージシャンに計り知れない衝撃を与えました。
当時、若干18歳前後でMY FIRST STORYを始動させたばかりだったHiroにとって、Kは単なる先輩バンドマンを超えた「恩師」であり「実の兄のような存在」でした。Hiroは過去の手記やドキュメンタリー映像、ライブMCにおいて、次のように胸中を吐露しています。
「K君がいなかったら、今の俺はここに立っていない。歌う意味も、バンドを続ける理由も、全部K君が教えてくれた」
Kの死後、マイファスはP.T.Pへの強いリスペクトを公にし続け、トリビュートアルバムへの参加や追悼ライブでの魂の熱唱を捧げました。しかし、ネット上では「ロックバンドのボーカル急逝」「Hiroが号泣した追悼劇」というニュースの文脈が粗雑に消費され、数年後には「マイファスのボーカルが死んだ?」「マイファスのメンバーが急死したのでは」という全く別の怪情報へとすり替えられていったのです。