Q1:坂本龍馬はなぜ護衛を連れていなかったのですか?
A1:龍馬自身は無警戒だったわけではありませんが、当時は土佐藩邸のすぐ近くに潜伏しており、藩邸内に入ることを周囲から勧められていました。しかし、脱藩の罪が完全に許された直後であったことや、自由な政治活動を制限されることを嫌い、あえて町宿である近江屋を隠れ家に選んでいました。また、元力士の屈強な山田藤吉を護衛兼従僕として配置していましたが、刺客の偽装工作(十津川郷士を名乗る不意打ち)により、防衛線を瞬時に突破されてしまいました。
Q2:龍馬が愛用していたピストル(拳銃)はなぜ使われなかったのですか?
A2:高杉晋作から贈られたスミス&ウェッソンは、慶応2年の寺田屋事件で格闘した際に紛失していました。その後、新たに別の拳銃を所持していたとされていますが、事件当夜は風邪を引いてくつろいでおり、武器は床の間に置かれていました。刺客の突入があまりに電光石火であったため、銃火器を構えて装填・発砲する物理的な時間が全くありませんでした。
Q3:現場に残された「刀の鞘」は誰のものだったのですか?
A3:現場検証で新選組・原田左之助のものと誤認された刀の鞘ですが、後年の研究では実行犯である京都見廻組の隊士、渡辺篤もしくは桂早之助が落とした鞘であることが判明しています。鞘の寸法や塗りの仕様が旗本・御家人が帯びる規格と合致しており、町方浪士の集団であった新選組の装備品とは異なるものでした。