作品を鑑賞した多くの読者が抱く「節子の本当の死因は何だったのか」という疑問。単に「食べるものがなかった餓死」と片付けられがちですが、当時の医療記録や劇中の詳細な描写を精査すると、より複雑で過酷な病態が浮かび上がってきます。
医師や公衆衛生の専門家が指摘する節子の主たる死因は、「重度の栄養失調症(クワシオオルコル/マラスムス)と不衛生な泥水摂取による急性腸炎・疫痢の合併」です。劇中、節子は以下のような明確な臨床症状を示しています。
- 持続性の下痢:池の淀んだ水や生水を飲んだことによる細菌感染(赤痢菌や大腸菌など)。
- 腹部の膨満:極度の低タンパク血症によって血管内の水分が腹腔へ漏れ出す「腹水」の兆候。
- 意識混濁と幻覚:低血糖および電解質異常、脱水症状により、泥団子をおにぎりと言い、おはじきを口に含む行動。
- 皮膚のただれ・点状出血:ビタミン欠乏症(壊血病やペラグラ)による毛細血管の脆弱化と免疫機能の崩壊。
病院に連れて行った清太に対し、医師が「滋養をつけるしかない」と冷たく言い放つシーンは、当時の医療崩壊を象徴しています。抗生物質も点滴も存在しない極限下において、弱り切った小児の消化器官は、清太が最後に与えたスイカの糖分を吸収することすらできず、心不全あるいは低体温症によって命の灯火を消したと推測されます。
一方、清太自身の死因についても同様に「急性飢餓とマラリア、あるいは極度の衰弱死」と見られています。終戦直後の三ノ宮駅には、推計で数百人規模の戦災孤児が滞留し、1日あたり数名の遺体が無縁仏として運び出されていました。妹を自らの手で荼毘に付した時点で、清太の精神的な生命維持機能は完全に崩壊しており、自死に近い形で飢餓死を受け入れたといえます。