お栄さんの生涯は、その画風以上に強烈な個性に彩られています。青年期、彼女は堤派の町絵師・南沢等明(みなみさわ とうめい)のもとへ嫁ぎました。しかし、この結婚生活は長くは続きませんでした。
ある日、夫の等明が描いた絵の手拙さを目にしたお栄さんは、「フッ、なんて不細工な絵を描くのかしら」と吹き出して大笑いし、夫のプライドを粉々に打ち砕いて実家へ離縁(離婚)されて戻ってきました。画道に対する一切の妥協を許さないプロ意識と、男尊女卑が色濃い江戸社会にあって屈しない自尊心の強さを物語る痛快なエピソードです。
出戻った後の生活も型破りを極めました。父・北斎と同様に家事や料理、掃除には一切興味を示さず、朝から晩まで絵筆を握り続けました。食事はすべて近所の惣菜屋から買って済ませ、ゴミが部屋中に散乱して足の踏み場がなくなると、片付ける代わりに「別の長屋へ引っ越す」という徹底ぶり。北斎が生涯で93回も転居を繰り返した背景には、お栄さんの存在があったことは間違いありません。
煙草を愛し、煙管(キセル)をくゆらせながら北斎の制作台の横で筆を走らせ、時にはうっかり北斎の原稿の上に煙草の灰を落としてボヤ騒ぎを起こすなど、豪快でユーモラスな逸話が数多く残されています。