横浜開港資料館の深層|奇跡のたまくすの木と旧英国総領事館の真実

横浜開港資料館の深層|奇跡のたまくすの木と旧英国総領事館の真実

横浜開港資料館の深層|奇跡のたまくすの木と旧英国総領事館の真実の全体像を詳しく解説してご紹介します。

横浜開港資料館の中庭中央に根を張る「たまくすの木(タブノキの変種)」は、単なるシンボルツリーではありません。この木が立つ場所こそ、嘉永7年(1854年)、マシュー・ペリー提督率いる米海軍東インド艦隊が再来航し、江戸幕府との間で日米和親条約締結の地となったまさにその現場です。

随行画家ウィリアム・ハイネが残した有名な石版画『ペリー提督横浜上陸の図』を注意深く観察すると、応接所の背後にこんもりと葉を茂らせた巨木が精密に描かれています。横浜開港資料館の調査記録や展示解説によると、この絵に描かれた樹木こそが現在のたまくすの木の先祖にあたります。ペリー来航当時の横浜は、わずか百戸足らずの寒村でした。武士と異国の軍人が初めて本格的な外交交渉に臨んだ緊張の瞬間を、この木は静かに見届けていたのです。

しかし、たまくすの木が「奇跡の木」と呼ばれる真の理由は、その後の過酷な受難の歴史にあります。安政の大火や度重なる都市の変遷を潜り抜けた後、最大の悲劇となったのが大正12年(1923年)の関東大震災でした。横浜の市街地は壊滅的な猛火に包まれ、英国総領事館の建物とともにたまくすの木も幹の大部分が黒焦げとなり、一時は完全に枯死したと考えられていました。

ところが震災の翌春、炭化した巨木の根元から小さな青い新芽が顔を出します。当時の横浜市民や領事館関係者は、廃墟の中で力強く芽吹いた若芽に復興への深い希望を見出しました。その後、昭和6年の新総領事館建設の際に現在の位置へと移植され、太平洋戦争末期の横浜大空襲による火勢にも耐え抜き、再び豊かな緑をたたえる巨木へと成長を遂げました。幾重もの災禍を乗り越えて命をつないできた歴史の重みは、訪れる人々に言葉を超えた感動を与えています。

小林 直樹
著者

小林 直樹

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。