1970年11月、美輪明宏は舞台公演の真っ最中でした。その楽屋に突如として届けられたのが、両腕で抱えきれないほど巨大な深紅の薔薇の花束でした。贈り主は三島由紀夫。初日でも千秋楽でもない、何でもない日に届けられたその薔薇は、異様なまでの存在感を放っていました。
直後に楽屋を訪れた三島は、いつになく穏やかで澄み切った表情を浮かべていたと美輪は証言しています。美輪が「こんな見事な薔薇、どうなさったの?」と礼を述べると、三島は静かに微笑みながらこう答えました。「いや、君にしばらく会えなくなるからね。これを持ってきたんだ」。
そして去り際、三島が残した最後の言葉は、「美しいものは、美しいままにしておかなければならない」という趣旨の、どこか遠くを見つめるような呟きでした。美輪はその時、三島の全身から漂う尋常ならざる気配と死の影を感じ取り、「三島さん、死なないでね」と心の中で叫んだといいます。
それからわずか数日後の1970年11月25日、三島事件が勃発。三島は「楯の会」の隊員とともに市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部を占拠し、バルコニーでの演説ののち割腹自決を遂げました。楽屋のテレビ速報でその凶報を目にした瞬間、美輪は手元の深紅の薔薇を見つめ、すべてを悟りました。あの薔薇の深紅は、自らの血をもって美学を完結させようとした三島の「鮮血の予告」であり、生涯で最も美を理解してくれた友への「魂の遺言」だったのです。