インターネットやガイドブックで土方歳三の墓を検索すると、東京都日野市の石田寺(せきでんじ)、北海道函館市の碧血碑(へきけつひ)や称名寺(しょうみょうじ)、そして福島県会津若松市の天寧寺(てんねいじ)など、複数の場所がヒットします。「土方歳三の墓 なぜ複数あるのか 理由」を探るうえで重要なのは、日本の伝統的な葬送文化における「遺体(遺骨)を納める墓」と「魂を慰めるための供養碑・慰霊碑」の違いを正しく把握することです。
近世から近代への激動期において、戦死した武士の遺骸が故郷へ戻るケースは決して多くありませんでした。特に土方歳三のように、朝敵とされた旧幕府軍の最高指揮官の一人として遠隔地で敗死した人物の場合、その亡骸を実家が引き取ることは政治的にも地理的にも不可能に近かったのです。
日野の石田寺にある墓は、歳三の生家である土方家の人々が建立した土方家の正統な菩提寺の墓です。一方、函館の各所にある碑は、熾烈な箱館戦争で散った戦友たちとともに弔うための戦災供養碑としての性格を持ちます。さらに会津若松の天寧寺にある慰霊碑は、かつて共に戦い先に処刑された局長・近藤勇の墓の隣に、歳三の義兄弟や会津藩関係者がその功績を称えて建立したものです。このように、関わった人々の立場や弔いの目的が地域ごとに異なっていたからこそ、複数の墓碑が全国に遺されることになりました。