17年という明確な時間差があることから、SNS上では度々「月化粧通りもんパクリ疑惑の真相」を巡る過熱した議論が巻き起こります。しかし、製菓業界の技術的潮流や歴史的背景を丁寧に紐解くと、単純な「後発による模倣」という枠組みでは語れない構造が見えてきます。
第一に理解すべきは、日本の和菓子界における「乳菓(にゅうか)」という専門ジャンルの存在です。乳菓とは、小麦粉を主体とした生地にバター、練乳、卵などを配合し、白餡などを包んで焼き上げた和洋折衷菓子の総称を指します。その系譜は昭和30年代〜40年代に誕生した愛媛の「母恵夢(ポエム)」や福島の「ままどおる」にまで遡り、日本人が慣れ親しんだ白餡の口どけと、欧米由来の乳製品のコクを融合させるアプローチは半世紀以上にわたって研究されてきました。
第二に、1990年代から2000年代にかけて起こった包餡技術(ほうあんぎじゅつ)の劇的進化が挙げられます。日本の製菓機械メーカー(レオン自動機など)が開発したハイエンド包餡機により、水分量や油分が多くて機械化が極めて困難だった「極限まで柔らかいペースト状の餡」を、限界まで薄い生地で均一に包み込む高度な量産技術が確立されました。
明月堂の創業者一族や開発チームが「極限のとろける食感」を追求して通りもんを生み出したのと同様に、青木松風庵もまた自社が誇る自家製餡の技術力を結集させました。青木松風庵の開発記録によると、彼らが目指したのは単なる洋風饅頭ではなく、「北海道産の大手亡豆と白福豆という最高級の白インゲン豆を独自の黄金比でブレンドし、ミルクの香りを最大限に引き立てる自家製餡」の創造でした。
つまり、両者が酷似しているように感じられる背景には、「白餡×ミルク・バター×極薄皮」という黄金律が日本の菓子工学において究極の到達点であったという必然性があります。模倣ではなく、同一の洗練された製菓カテゴリーの頂点を目指した結果、外見やコンセプトにおいて必然的な近似値を示したというのが、業界アナリストや専門家の間における共通した見解です。