藤原喜明の原点は、昭和の新日本プロレスにおける過酷な鍛錬の場にあります。入門当初はエリート街道とは程遠く、若い頃の経歴は泥臭い下積みの日々でした。しかし、カール・ゴッチ直伝のキャッチ・アズ・キャッチ・キャン(関節技・サブミッション技術)を誰よりも真摯に修得し、道場では誰もが恐れる「関節技の鬼」へと成長を遂げます。
特にプロレス界のカリスマ・アントニオ猪木からの信頼は絶大でした。道場での極秘スパーリングパートナーを務め、猪木が異種格闘技戦に挑む際には「猪木の腕を折る気で攻めろ」と命じられた唯一の男です。1984年、雪の札幌中島スポーツセンターで長州力を花道で急襲した事件は、プロレス史に残るテロリスト伝説として語り継がれています。
その後、第一次UWFへの移籍を経て、1991年には自身の名を冠した「プロフェッショナルレスリング藤原組(PWFG)」を設立。打撃と関節技を中心としたリアリズム溢れるファイトスタイルを確立し、後の総合格闘技ブームの直接的な母体となりました。リング上で見せる冷酷なまでのアームロックや脇固めは、単なるプロレス技の域を超え、武術としての洗練を極めていました。