「自分がもっと配慮すれば、あの人も分かってくれるはず」——。こうした強い自省の念を日常的に抱く人ほど、このシンドロームの深みにはまりやすい。共感性が極めて高く、相手の感情の機微を察しようと常に神経をすり減らしているからだ。
しかし、相手に定型発達的な「お互い様」や「察し合い」のコミュニケーション構造がない場合、その努力はことごとく空回りする。キャッチボールのボールを投げ続けても、相手はそれを受け止めるどころか、ボールが投げられたことすら気づかない。この絶望的なキャッチボールの不成立が、じわじわと心の根底を削っていく。