入社からわずか5ヶ月足らず。2008年の晩夏、屋敷氏は周囲の引き留めを振り切り、制作会社ネツゲンをスパッと退社します。「過酷な労働環境に耐えかねて逃げ出したのではないか」という安易な臆測も一部で囁かれましたが、事実は全く異なります。彼を突き動かしたのは、肉体的な疲弊ではなく、スタジオの現場で突きつけられた「決定的な心の渇望」でした。
『ネプリーグ』のスタジオ収録で、屋敷氏はフロアADとしてカンペを持ち、セットの片隅からスタジオ中央を見つめていました。ライトを浴びて司会者やゲストと丁々発止のやりとりを繰り広げ、爆笑をさらっていく同世代やお笑い界のトップランナーたち。その光景を目にした瞬間、彼の心の中に眠っていた感情が激しく揺さぶられたといいます。「自分は画面のフレームの外側で小道具を運んでいるが、本当に立ちたい場所はあそこ(カメラの前)なのではないか」という強烈な違和感でした。
当時の心情について、屋敷氏は後のメディア取材で次のように述懐しています。
「激務で身体がキツいこと以上に、スタジオで楽しそうに笑いを取っている芸人さんたちを見たとき、羨ましさで胃がちぎれそうになった。『俺は何をやっているんだろう』『あっち側に行かなきゃ一生後悔する』と確信したんです」
もしテレビマンとしてディレクターやプロデューサーを目指すなら、下積みに5年、10年を捧げる覚悟が必要です。しかし、その先に自分が心から望む未来があるのかと自問自答した結果、彼は「芸人への転身」を即断しました。2008年秋に退職届を提出し、翌2009年4月には吉本興業の養成所であるNSC東京校へ15期生として入学。そこで運命の相方・嶋佐和也氏と出会い、現在の「ニューヨーク」が誕生することになります。