イギリスが優雅な単独行動を維持できた前提条件は、ヨーロッパ大陸の諸大国が互いに反目し、イギリスに対抗して団結できない状態が続くことでした。そのバランスを保っていたのが、プロイセンを率いてドイツ統一を成し遂げた宰相ビスマルクの精緻な外交網(ビスマルク体制)でした。ビスマルクはフランスの復讐を恐れ、ロシアやオーストリアと複雑な条約を結んでフランスを孤立させる一方、イギリスを刺激しないよう海外植民地獲得には抑制的な態度を取り続けました。
しかし、1890年に青年皇帝ヴィルヘルム2世がビスマルクを更迭したことで、歯車は狂い始めます。ヴィルヘルム2世はロシアとの再保障条約更新を拒否し、これに危機感を抱いたロシアは1894年にフランスと手を結びました(露仏同盟)。大陸の東西を挟む二大強国が強固な軍事同盟を結んだことで、欧州の勢力均衡は二極化へと急速に向かっていきます。
さらにイギリスを震撼させたのが、ドイツが掲げた「世界政策(ヴェルトポリティーク)」と急速な大艦隊建設でした。ドイツ帝国海軍法(1898年、1900年)の制定を主導したティルピッツ海相のもと、イギリスのお膝元である北海に直接脅威を与える巨艦が次々と建造され始めます。かつては互いに牽制し合っていた欧州大陸諸国が、露仏同盟と三国同盟(独・墺・伊)という二大陣営に再編され、イギリスは「どちらの陣営からも敵視されかねない」という冷酷な現実に直面しました。「栄光」と呼んでいた孤立は、いつの間にか「危険な孤立無援」へと反転していたのです。