呉越同舟という言葉の重みを理解する上で欠かせないのが、「呉の国」と「越の国」が繰り広げた凄惨な抗争の歴史背景です。紀元前5世紀から紀元前6世紀にかけての中国春秋時代、長江下流域に位置していた呉と越は、領土を接するライバル同士であり、互いの王を討ち合う熾烈な覇権争いを続けました。
この泥沼の戦いから生まれたもうひとつの有名な故事成語が「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」です。呉王闔閭(こうりょ)が越王勾践(こうせん)に敗れて命を落とした際、その息子である夫差(ふさ)は父の無念を晴らすため、薪(たきぎ)の上に寝て体を痛めつけながら復讐を誓いました(=臥薪)。その後、夫差は見事に越を破ります。今度は敗れた勾践が苦い胆(きも)を舐めて屈辱を忘れず、長い歳月をかけて国力を蓄え、最終的に呉を滅ぼしました(=嘗胆)。
このように、呉国と越国の関係は「顔を合わせれば即座に斬り合いが始まるほどの絶対的な仇敵」でした。そのような背景があるからこそ、『孫子』における「その呉人と越人ですら、船が転覆しそうになれば左右の手のように助け合う」という比喩が、強烈な説得力を持って後世に語り継がれているのです。