「公家かぶれの軟弱な武将」。そんな義元像も過去のものだ。当時の今川家は駿河、遠江、三河を治める東国最大の勢力であり、義元自身も極めて優れた政治家・軍略家であった。問題は油断ではなく、織田側の防衛線を破った直後の「補給と休息のタイムラグ」にあったという見方が強まっている。
前線の砦を次々と攻略した今川軍は、目標を達成した安堵感とともに一時的な兵糧補給と休息を必要としていた。義元はその指揮を的確に執っていたが、あまりにも迅速な信長の出撃スピードが、義元の想定をわずかに上回った。ほんの30分から1時間の判断の遅れが、東国の覇者の運命を分けたのだ。