日本の暴力団史において、「最強の武闘派」として真っ先に名が挙がるのが、五代目山口組体制下で中核を担った山健組(やまけんぐみ)です。初代・山本健一組長が創設して以来、徹底した現場主義と好戦的な姿勢で山口組の全国制覇を最前線で牽引しました。
山健組が築き上げた武闘派の歴史は、数々の凄惨な衝突と隣り合わせでした。昭和後期から平成初期にかけて起きた数多の抗争において、山健組傘下の武闘派幹部や鉄砲玉(実行犯)たちは驚異的な統率力と攻撃力を発揮しました。「山健にあらざれば山口組にあらず」とまで囁かれた全盛期には数千人規模の構成員を擁し、山口組の武力を象徴する存在として君臨し続けたのです。
彼らが最強と恐れられた理由は、単なる個人の腕力ではなく、組織的な報復システムの冷徹さにありました。親分や自組織が攻撃された際、一切の躊躇なく倍返しの反撃を仕掛ける強烈な報復文化が、他団体に対する絶大な抑止力として機能していました。