発売初年度の販売量は1日平均わずか9杯程度、年間の売上高は約50ドルにとどまり、広告費などの経費(約73ドル)を下回る赤字スタートでした。しかし、ペンバートンは「この黒い液体はやがて全米を席巻する国民的飲料になる」と確信していました。それにもかかわらず、なぜ彼はその権利を完全に手放してしまったのでしょうか。
最大の理由は、彼自身の進行性の胃ガンによる体調悪化と、それに伴う極度の困窮でした。激痛を和らげるためのモルヒネ購入費は日増しにかさみ、当時の家計は完全に破綻していました。治療費と日々の生活費を捻出するため、ペンバートンは自らの持ち株や特許権を切り売りせざるを得ない追いつめられた状況にありました。
そこに目をつけたのが、同じくアトランタで薬局を営んでいた辣腕の実業家、エイサ・キャンドラー(Asa G. Candler)でした。キャンドラーはコカ・コーラが秘める爆発的な商業的価値を瞬時に見抜き、病床にあったペンバートンやその関係者から権利を段階的に買い集めていきました。ペンバートンが手に入れた対価は、分割払いの総額でわずか約2,300ドル(当時の相場でも極めて安価、2026年の換算レートでも数百万円程度)に過ぎませんでした。
ペンバートンは最期まで「息子のチャーリー(Charles Ney Pemberton)のために、権利の一部だけでも残したい」と懇願し、一部の持ち分を息子に託しました。しかし、父親と同様に重度の依存症に陥っていたチャーリーもまた、ペンバートンの死後すぐに残された権利を小口で手放してしまい、一族がその後の富を享受することは完全に不可能となったのです。