日本プロ野球の歴史上、最も日本中を驚嘆させ、今なおファンの脳裏に焼き付いている単独ホームスチールといえば、2004年のオールスターゲーム第2戦(長野オリンピックスタジアム)で見せた新庄剛志オールスター本盗をおいて他にありません。
全パの「1番・中堅」で先発出場した新庄剛志選手(当時・北海道日本ハムファイターズ)は、3回裏2死三塁の好機で三塁走者として塁上にいました。マウンド上は阪神時代の元同僚であった全セの福原忍投手。2球目、福原投手が捕手のサインを確認し、足を上げてセットポジションから投球動作に移ろうとした瞬間、三塁ベンチ側の観客が一斉にどよめきました。新庄選手が頭を下げ、猛烈なダッシュで本塁へ向かって疾走していたのです。
福原投手は異変に気付いて慌てて本塁へストレートを投げ込みましたが、完全に出し抜かれた捕手の矢野燿大選手が立ち上がって捕球体制に入るよりも早く、新庄選手は頭から滑り込む決死のヘッドスライディングを敢行。土煙が舞う中、球審の右手が横に広がり「セーフ!」のコールが響き渡りました。当時、試合後の特番インタビューや自著などで新庄氏は「相手の投球テンポと癖をベンチから完全に盗んでいた。ファンをお祭り騒ぎで喜ばせるために、絶対にセーフになる確信を持って走った」と述懐しています。オールスターでの本盗成功は1978年の簑田浩二選手(阪急)以来、史上2人目の快挙でした。
歴史的な記録に目を向けると、プロ野球ホームスチール歴代記録の頂点に君臨するのは、通算1065盗塁の世界記録を持つ「世界の盗塁王」福本豊氏(阪急)ではありません。NPBの歴代最多本盗記録は、昭和初期から戦後にかけて南海ホークスなどで活躍し、通算盗塁王にも輝いた木塚忠助氏の通算14回です。当時はナイター設備の未発達や投手のモーションが大味だった背景もありますが、驚異的なスタートセンスの賜物でした。
一方、海の向こうのメジャーリーグ歴代本盗記録はさらに桁外れです。メジャー史上最多の通算本盗記録を持つのは、デッドボール時代の大打者タイ・カッブの「通算54回」。1シーズンで8回の本盗を決めた記録も保持しています。また、近代野球において最も象徴的なシーンとして語り継がれるのが、1955年のワールドシリーズ第1戦、ブルックリン・ドジャースのジャッキー・ロビンソンがニューヨーク・ヤンキースの大投手ホワイティ・フォードから奪った伝説のホームスチールです。捕手ヨギ・ベラが猛抗議した判定の真偽を含め、アメリカ野球の象徴的文化遺産となっています。
そしてアマチュア界に目を転じれば、高校野球劇的ホームスチールも数々のドラマを生んできました。甲子園大会や地方大会の決勝など、プレッシャーで指先が固まる延長タイブレークや土壇場の9回裏、一瞬の隙を突いてサヨナラのホームスチールをもぎ取るシーンは、幾度となく高校野球ファンの涙と熱狂を誘っています。