SNSやネット掲示板では、しばしば「護送船団方式=愚民政策の元凶」「日本の失われた30年を作った完全な悪弊」と短絡的に断じられる傾向があります。しかし、経済史のリアリズムから見れば、この見解は一面的な誤解を含んでいます。
当時の戦後日本において、資本市場は極めて脆弱でした。もしも終戦直後から完全な市場競争を導入していれば、中小金融機関は次々に淘汰され、信用不安から取り付け騒ぎが頻発し、基幹産業への資本集中は不可能だったと多くの経済学者が指摘しています。計画経済的な統制アプローチによって国民の少額資金をプールし、重化学工業へ最優先で注ぎ込む集中的な配分システムとしては、極めて高い効率性を誇っていたのです。
本当の悲劇は、仕組み自体の存在ではなく「制度の賞味期限が切れた後も撤退できなかったこと」にあります。1980年代に日本が欧米に追いつき、経済が成熟期に入った段階で、本来であれば市場競争型へとソフトランディングさせるべきでした。成功体験に縛られた官僚組織と、保護に甘え続けた銀行経営陣が「既得権益の心地よさ」から抜け出せず、手遅れになるまで延命を図ったことこそが歴史の痛烈な教訓なのです。