1997年5月、神戸市須磨区で発生した猟奇的殺人事件。中学校の門前に置かれた被害児童の頭部と、警察を挑発する手紙。事件の異様さは国民を震撼させた。兵庫県警察は当初、大人の男による犯行を疑い捜査を進めていたが、緻密な聞き込みと筆跡鑑定の末、特定された容疑者はわずか14歳の中学生だった。
逮捕の瞬間、日本社会は激しい過熱状態に陥った。少年法第61条の壁により加害者の推知報道が禁止される中、知る権利を主張する一部の週刊誌や海外メディアが実名や顔写真の掲載に踏み切る事態が発生。プライバシー保護と犯罪報道の境界線をめぐる議論は、この事件を境に劇的な変化を遂げることとなった。