「一隅を照らす」の本当の意味とは?最澄が説いた真意と誤解の真相

「一隅を照らす」の本当の意味とは?最澄が説いた真意と誤解の真相

「一隅を照らす」の本当の意味とは?最澄が説いた真意と誤解の真相についての疑問解決ガイドをお届けします。

「一隅を照らす」というフレーズの源流は、平安時代初期、比叡山延暦寺を開いた天台宗の開祖・最澄(伝教大師)が弘仁9年(818年)から弘仁10年(819年)にかけて朝廷へ提出した意見書『山家学生式(さんげがくしょうしき)』の冒頭にあります。

原文には次のような名高い一節が記されています。

「国の宝とは何物ぞ、宝とは道心なり。道心ある人を名づけて国宝と為す。故に古人の言へらく、径寸十枚、是れ国宝に非ず、一隅を照らす、此れ則ち国宝なりと」

当時、奈良の旧仏教勢力(南都六宗)が国家鎮護の儀礼や権力闘争に傾斜するなか、最澄は「真に国家社会を支えるのは、金銀財宝や直径一寸の大玉十枚のような物質的価値(径寸十枚)ではない」と断言しました。仏の道を志す純粋な心(道心)を抱き、社会の片隅であっても自分自身の持ち場で精一杯光を放ち、人々を善導する人物こそが真の国宝(これ国宝なり)であると訴えたのです。

最澄はこの熱烈な理念のもと、比叡山で12年間の厳しい山林修行に耐えうる「菩薩僧(慈悲をもって社会に貢献するリーダー)」の育成に生涯を捧げました。これが、一隅を照らす最澄の原点です。

前田 葵
著者

前田 葵

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。