日本の視覚表現史において、検閲と修正の象徴的な事件として語り継がれているのが、大島渚監督の映画『愛のコリーダ』を巡る裁判だ。人間の性と愛の極限を描いた同作は、海外版が無修正で公開・絶賛された一方、日本国内では書籍版の写真や映画のノーカット上映が司法の追及を受けた。この事件は、芸術とわいせつの境界線をめぐる議論の決定的なメルクマールとなった。
現在、国内の商業映画においては映画倫理機構(映倫)が自主審査を行い、年齢区分や必要な描写の修正を定めている。だが、日本映画監督協会をはじめとする表現者側からは、過度な描写制限が映画の持つリアリズムや歴史的価値を損なうとの危機感が繰り返し表明されてきた。国際共同製作が増加するなかで、日本独自の規制慣行が映画文化の国際競争力を削いでいるのではないかという懸念は、今や映画界全体の共有課題である。